2011年02月20日
川俣晶の縁側歴史と文化歴史資料館巡り total 14361 count

旧市ヶ谷刑務所処刑場跡

Written By: 川俣 晶連絡先

 曙橋周辺はかなり歩きましたが、まだ甘かった。実は、旧市ヶ谷刑務所処刑場跡に、死刑者慰霊塔なるものが存在していました。しかも、新宿文化センターの延長線上に位置づけられます。(微妙に曲がるが)

 新宿から十分に歩いて行ける距離ということになります。

 というわけで、片道は新宿から歩こうと思いましたが、結局、往復を新宿から歩いてしまいました。1万歩以上になるかもしれませんが、1万5千歩は確実に行っていません。そういう距離感です。曙橋の駅からなら遠くありません。

死刑者慰霊塔

§

 実は、「余丁町児童遊園」に死刑者慰霊塔があるというネットの情報で行きましたが、どうも妙な感じです。おかしいところはいくつもありますが、まずは名称の問題から。

 実はここにある公園は、「余丁町児童遊園」と「富久町児童遊園」2つで、2つの公園が合体して1つの公園のように見えるだけのようです。おそらく入り口側の標高の高い部分が「余丁町児童遊園」で、奧の低い部分が「富久町児童遊園」です。

 現地を見ると、両者の区別が明瞭につかないどころか、入り口側の「余丁町児童遊園」の名称しか見えません。「富久町児童遊園」の名称は現地に近い地図などで確認できるだけです (見落としの可能性はあるが)。

 そして、死刑者慰霊塔があるのは、おそらく「富久町児童遊園」側です。

 帰ってから確認するとWikiPediaの市ヶ谷刑務所にも以下のように書かれています。

現在は『富久町児童公園』となっており、公園内には刑死者慰霊碑が立っている場所は刑死場であった。

謎その2 §

 この場所は稜線の最も狭い部分です。おそらくそれには意味があるのでしょう。現地に行って分かることです。

 富久町児童公園側の出口の先は水路跡っぽい雰囲気ですが、水路跡でもおかしくない感じです。goo地図で明治の地図を見るとすぐ西に池があったことが分かり、その池に流れ込む支流があってもおかしくないロケーションです。

 それからもう1つ。「余丁町児童遊園」と「富久町児童遊園」の両方ともなぜか周囲の民家から公園に抜ける出入り口が存在しているのです。不思議な光景です。

 「余丁町児童遊園」の地下には「雨水貯留浸透施設」があるという看板が出ていましたが、それと同時に電マークのマンホールもいくつかあり、水関係の他に電力関係の何かがあるという可能性もあります。

考えてみると §

 周囲から見やすい高い位置で、洗い流す水にも近いのは意味があったのでしょう。たぶん。本当かは分かりませんが。

オマケ・小泉八雲旧居跡 §

 成女学園のあたりに小泉八雲旧居跡があったようですが、良く分かりませんでした。碑があったのに無駄に回り道して見落としたようです。残念。